はたらくとは?

学生時代の友人の名言で、

 

「いやね、女にフラれた時は、働くしかないでしょ。もう、ひたすらに。」

 

ってのが、ありまして。

 

もう、時間空いちゃうとその子の事考えちゃっていつもでも、ウジウジしてしまうんで。

 

我を、忘れて、はたらく。労働。勤労。アルバイト。

 

なるほどと、感じ入って、自分も失恋した時は、ひたすらアルバイトのシフトきつめにいれてずーっと、働いていたの憶えてます。

 

「 傍(ハタ)を楽にする 」のが、働くの語源だなんて聞くと、ボランティや、最近のNPOの方の取り組みなどを見るにつれて本来の働く事の意味を取り戻しつつあるのかななんて思います。

 

言い過ぎかもしれませんが、いわゆるビジネス的なテクニックみたいなものなんて、

目的と手段の取り違いしてるんじゃあないかとも考えたりします。

 

中上健次さんの小説の「枯木灘」って大好きななんですけど、その一節に、

ほんとに、働くことをこんなに、正確に表現してるのってないなと、いっつも読み返してる部分があって。主人公の秋幸が、土方の仕事してる表現で..

 

” 働き出して日がやっと自分の体を染めるのを秋幸は、感じた。"

 

" 今、働く。今、つるはしで土を掘る。シャベルですくう。つるはしが秋幸は、

   好きだった。シャベルが秋幸だった”

 

” 秋幸は、土方をしながら、その風景に染め上げれられるのが好きだった"

 

                      

 

珠玉ですよね。こういう表現。

繰り返し、違った比喩での表現がいくつもあるのですが、もう、働くことの意味そのものが、文章で結晶化しているようなとてつもない快楽をここ読むと感じます。

 

中上健次氏という、作家が、紀州という土地の、土、血、風景、労働、生、死、あらゆる人の営み、それらの絵の具をたっぷり使い何度も何度も、白い原稿用紙を塗り重ねていく。そんな、感覚を憶えます。

 

 

 

まあ、結局、利益がどうだとか、コストがどうだとか、マーケティングが、どうだとか、言ってても、やっぱり働くってことに、本当に、「入っている」ときは、我を忘れて、何かの為に、何かの役をたとうとしているときなんだなと思います。