ふるさとは、遠きにありて、走るもの...
いつもどおりの準備。
服装をきがえ。
腕時計をはめて。
靴下を履き。
おんがくをじゅんびして。
靴に足をねじこみ。
外へでて。
はしり出す。
いつもと違うのは、そこが、いつもと違う土地。
日常の場所でなく。
かつての日常の場所、土地。
走り出すと。いろんな映像が、頭の中でよみがえってくる。
さびしかった下校、友人と喧嘩してたったひとりでぽつんと帰った時のこと。
学校から脱出する抜け道。
さぼってたむろってた神社の境内。
好きな子と他愛ないお喋りしてた河原。
やたらお腹すかして、やたら買い食いしてたコンビニ。
部活で無理やり走りされてた河川敷の長い長い道路。
などなど。
好きな映画監督で、大林 宣彦さんが、仰ってたんですけど、
「地元の尾道で映画を撮っていると、石畳の階段で、町の曲がり角で、
ふと、昔の自分に出会う…」
ひたすらそんな時間を過ごした時でした。
頭の中に、昔の記憶がいっきに蘇ってきた、ややバースト気味な
脳味噌の状態でした。
( 室生犀星 著 小景異情 )
" ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや....."
なんでしょうか?
今でも説明しきれないんですけど、ほんと、田舎が嫌いで嫌いで、
気づいたら家をでたくでたくて。
着々と学生時代から準備してたんですよ。
別に、都へでて一旗揚げようなんて、野望があった訳では、勿論ないんですけど。
「 愛憎半ばする」 なんて言葉聞いたりすると、自分の生まれ育った町に
対する感情に、ぴたっとするぐらいぴたっとくるんです。おそろしいぐらい。
昔から地元で暮らしている人にとっては、昔の思い出の場所で、ふと思い出す感情なんて、
きっとなんでもないことかもしれませんが。
生きてる時間が、
子供時代、幼少期、青年期一部 〈 残り青年期、そっから、今。
客観的な時間が、そうなった今では、もう、自分の原型みたいのがカタチづくられた土地を
訪れるというのは、ほんとある種、途轍もない事件でした。あくまで、個人的見解。
今でも、記憶がぐるぐる巡ってきて…..
ああ、どうなんだろうな…..
まあ、明日も昔過ごした道を走るんですけど。
なんだか、もう、どうなってしまうんだろうな…..。
ヒッチコックが、トリュフォーにインタビューを受けて、かつての作品についての
話をしている期間に、記憶を一気に呼び起こして、寝つきが悪くて悪くて.....て愚痴ってて。
ああ、自分も今晩、そんか感じになるのかなぁ........。